2012年12月30日日曜日

下流志向

内田樹著、下流志向―学ばない子どもたち 働かない若者たち、講談社文庫を紹介します。

http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2763990

なぜ日本の子どもたちは勉強を、若者は仕事をしなくなったのかについて、教育や労働を等価交換(ビジネスモデル、無時間モデル)で判断し、時間の中で自分自身が変化することを勘定に入れることができない思考である無知に固着する欲望が理由としています。

3年前に何をやっていた(どんな努力をしていた)かが今の自分を決める、今やっていることが3年後の自分を決める、という考え方とは対照的です。3年後どうなっているかは不明な点も多いですが、長期目標のイメージは重要だと感じています。

ちなみに私は3年前に「PT・OT・STのためのリハ栄養」を出版させていただき、このブログを始めました。それが3年経過した今の自分につながっていることは間違いありません。ただ、3年前に今こうなっているとは予測できていませんでした(笑)。

今日は第2章から「リスクテイク」と「リスクヘッジ」について紹介します。現在は自己決定・自己責任が求められる社会です。人生の2大選択である職業や結婚も含めて、自分が選択を失敗すれば無職や離婚などのリスクを自分が背負うことになります。

職業や結婚を自分であまり選択できない昔に戻りたいとは思いませんが、急速に自己決定・自己責任が求められる社会に移行したため、リスクの個人化も急速に進行したように感じます。リスクへの対処方法もあまり学習していないように思います。

リスクはテイクする場合とヘッジする場合があります。「リスクテイク」は見通しの不確定的な冒険的計画に踏み出すことです。「リスクテイク」する代償として、主体は意思決定の権利を確保し、計画が成功した場合に生じる利益の先有権を主張できます。

私はNo venture, no gloryという言葉をモットーにしていますが、これは「リスクテイク」の言葉です。私はこう見えても保守的になりがちな人間ですので、この言葉でバランスをとっているつもりです。

「リスクヘッジ」は賭け金を分散して損失を防ぐことです。「リスクヘッジ」の要諦は利益を上げることではなく、損失を出さないことにあります。リスク社会におけるもっとも賢明なふるまいは、できるだけ巧みに「リスクヘッジ」をすることです。

「リスクヘッジ」にはいろんな形があります。成否の判断をはっきりせずに決定を先送りすること(継続審議)、複数の決定を同時に下すこと(両論併記)、誰も利益を得ないようなソリューションを選択すること(三方一両損)です。

「リスクヘッジ」を心がける人は、自分が起案したプランAがうまくいかないのはどういう場合かをできるだけ網羅的にリストアップしておき、その場合に使える代替プラン(B、C…)をそろえておくことを優先的に配慮します。

失業するのも、ホームレスになるのも、病気になるのも、すべてはそのようなリスクのある生き方を選んでしまった自分自身の責任であるという言い方には、リスクというのは個人的なものだということを前提にしています。

「リスクヘッジ」というのは「集団として生き残る」という明確な目標を掲げ、そこで集団的に合意されたプランに従って、整然と行動する人々のみが享受できることなのです。「個人がそのリスクをヘッジする」ということは原理的に不可能だからです。

「リスク社会をどう生きるか?」という問いは、「決定の成否にかかわらずその結果責任をシェアできる相互扶助的集団をどのように構築することができるか?」という問いに書きかえられねばならない。

明治以来、近代化のプロセスの中で、日本人は「迷惑のかけ合い」という仕方でリスクをヘッジしてきました。行政には弱者救済の手をさしのべる余裕はないし、貧しいもの同士で相互扶助するしかない。

相互扶助・相互支援というのは、平たく言えば「迷惑をかけ、かけられる」ということなのだから、「迷惑をかけられる」ような他者との関係を原理的に排除すべきではないだろうということです。

現代日本人は「迷惑をかけられる」ことを恐怖する点において、少し異常なくらいに敏感ではないかと僕は思います。「迷惑をかけ、かけられる」ような双務的な関係でなければ、相互扶助・相互支援のネットワークとしては機能しません。

リスク社会にいるのは自己決定・自己責任の原理に忠実な弱者だけなのです。日本の教育行政もメディアも久しくこのような「迷惑をかける相手もかけられる相手も持つことができない」膨大な数の構造的弱者をつくり出しつつあるのです。

「リスクテイク」はよく知っていますが「リスクヘッジ」はあまり知りませんでしたので、詳しく引用紹介させていただきました。2年前に無縁社会という言葉が流行しましたが、無縁社会の背景にリスク社会の進行とリスクをヘッジできないことがあると感じます。

血縁・地縁・職縁?による共同体を復活させることは、あまり現実的ではないでしょう。しかし、リスク社会で生きていくためには、「リスクテイク」だけでなく「リスクヘッジ」できる新たな中間共同体の存在が求められます。

新たな中間共同体の候補の1つに、ネットの活用があると考えます。私が人並み以上にネット(特にフェイスブック)を活用しているのは、あまり意識していませんでしたがリスクをヘッジするためだったのかもしれません。

実際、フェイスブックを運営ツールとしている日本リハビリテーション栄養研究会では、多くの世話人や会員にMB(無茶ぶり)という名の迷惑をかけています(笑)。MBは研究会の文化です(笑)。でもこれがむしろよいのかもしれませんね。

「リスクテイク」だけもしくは「リスクヘッジ」だけでは、リスク社会を生きていくのはしんどいと思います。No venture, no gloryとともに中間共同体作りや個人でできる「リスクヘッジ」を意識した2013年にしたいと考えています。

目次
第1章 学びからの逃走(新しいタイプの日本人の出現
勉強を嫌悪する日本の子ども ほか)
第2章 リスク社会の弱者たち(パイプラインの亀裂
階層ごとにリスクの濃淡がある ほか)
第3章 労働からの逃走(自己決定の詐術
不条理に気づかない ほか)
第4章 質疑応答(アメリカン・モデルの終焉
子どもの成長を待てない親 ほか)

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